考える写真4、いい写真と悪い写真と評価される写真

目次

自分の写真の根幹

自分の写真の根幹にあるのは

対談集での篠山紀信氏の「自分の撮ったお気に入りの写真と向き合って、なぜ自分がその写真を好きなのか考えなさい」という言葉です。(出典明記しないといけないのですが、忘れてしまいました)。

いい写真、悪い写真を決めるのは自分だと思います。

そして、自分がいい写真と思うことに責任を持つことです。

責任を持つこととは、なぜその写真が好きなのか考え続けることです。

 

評価されたい気持ち

最終的にはいい写真かどうかは自分で判断することだと思いますが、評価されたい気持ちもあると思います。

自分にもあります。

今はお客様からの評価です。

評価の種類は

1,権威からの評価

2,不特定多数からの評価

3,見て欲しい人からの評価

3つがあるのではないでしょうか。

お客様からの評価は3の問題になります。

1はコンテストなどの賞です。

2はTwitterとかインスタとかになります。

3は妻や友達や先生などです。

評価される事は、評価されやすい写真を撮ればいいだけです。

評価する人の好みの傾向を探って、その好みに合うように写真を撮ることです。

なので、評価されたい気持ちは、評価する相手に合わせた評価されやすい写真を撮ることになっていくことが多々あります。

そうなると写真が撮りたいのか評価されたいのかが分からなくなります。

 

 

評価されやすい写真とは

評価されやすい写真とは評価する人の好みの傾向を探って、その好みに合うように写真を撮ることです。

コンテスト風、アサカメ風写真、インスタ風写真、東京カメラ部風写真などの言葉があるように、風ということが傾向の事です。

そんな言葉が出来上がるくらいに、その相手や場所に応じた評価されやすい作風というものが実際あります。

作品展をする場合は有名スポットの風景写真の方がお客さんの高評価を得られることが多いらしく、そのような写真が多くなるとも聞きました。

もちろん自分も傾向に合わせた写真を撮っていました。

SNSに投稿していた時期があって、SNSで高評価を得られるような被写体を探して、そういう現像をしていました。

それで写真が撮りたいのか評価されたいのか分からなくなり、写真が楽しくなくなった時期があります。

今はお客様に喜んでもらえるように写真を撮っているのでもしかしたら本質的には変わっていないのかもしれません。

 

しかし、評価されたいと思って写真を撮ることは上達への近道でもあります。

評価されたいと思って、評価される傾向を探って、その傾向のように撮ることは上達への近道です。

その理由は

1,評価される傾向を探ることは、写真をたくさん見て、分析することになります。自分の写真のアイディアのデータベースが増えると同時に整理されていくことです。

写真を見て考えることはとても大事な事です。

2,その傾向のように撮ることは、工夫をすることなので、撮影や現像技術を向上させることでもあります。

ただ撮っているだけでなく、見る、考える、撮る、考えるというルーティーンが確立されていくことです。

 

評価されたい気持ちの問題点

1,楽しくなくなる

一番の問題点はさきほど書いたとおりに写真が撮りたいのか評価されたいのかが分からなくなって楽しくなくなることです。

写真が好きになるきっかけはきっとどの人もきれいに撮れたという感動だと思います。それが見えにくくなるのではないかと思います。

 

2、作風が偏る、特に派手なものに

全部ではないですが、ほとんどの場合高い評価を得られるのは派手な写真だと思います。

たくさんの写真の中で埋もれてしまっては人に見てもらえなくなるので、目立つ事が大事です。なので、コントラストがきつく、色がどぎつい方向に行く人を何人も見ました。

小さい画面で見ることが多いので、細部にこだわらない。

黒つぶれや白飛びを気にしない(黒つぶれや白飛びは全ての場面で悪いことというわけではありません)。

黒つぶれはプリントした時に写真が薄っぺらくなります。いつか黒つぶれ白飛びについて書ければなと思います。

黒つぶれや白飛びは良い効果を生むことがあります。

 

3,自分の存在意義

評価されたいという気持ちは自分の存在意義を外に求めることです。自分の存在意義を自分の外に確立してしまうことは非常に脆い生き方になると思います。

本当に自分に自信がある人はほとんどいないのではないでしょうか。

自信が無いから自信を得るために役職を求めたり、賞を求めたり、実績を求めたり、他社からの評価を求めたり、異性に求めたりしてしまいます。それは自信に見えて虚栄心でしかないと思います。

それは危険な生き方だと思います。

これ以上書くと宗教や思想の問題になってしまいそうなのでここまでにします。

(写真のところで宗教の宣伝をするつもりはありませんでしたが、この問題に興味がある方はこちらに詳しく書いてあります。)

 

自分の作風の分岐点

メインテーマは滅多に撮れないのですが、相反する2つの感情(絶望と喜び)を一枚の写真に収めるです。

それがメインテーマなのですが、もう一つ大きいテーマを持っていました。

1,初期―SNSで高評価を得る写真

高評価を得たいと思った事が大きな分岐点で、撮影技術も現像技術も急速に向上したと思っています。

この頃はインパクト重視の写真だったと思います。見返すと恥ずかしい写真が多々あります。

一番模索していたのもこの頃で今では撮れないような気にいっている写真もたくさんあります。

 

2,第二期―カレンダーのような写真を撮りたい

いつなぜ、思ったのか忘れましたが、王道の写真を撮りたいと思いました。

派手作風から自然な色合いをめざしはじめました。自然な色合いの定義も難しいですが、目に近い写真という感じでしょうか。

この時期に冒頭の篠山紀信氏の言葉に出会いました

 

3,第三期―家に飾りたい

あんまり写真を飾ったりしていなかったですが、飾りたくなりました。

ある写真家の方の飾ってこそ写真だ、飾らない写真は写真ではないという言葉の影響もあったと思います。

飾りたい写真も人それぞれかもしれませんが、

自分の飾りたい写真は見疲れしない写真、飽きない写真です。

2と同じような感じですが、本当に飾ることにするとより明確化された気がします。

 

4,現在、テーマがあると疲れる

飾りたい写真ばかり撮るとそれも疲れます。

これまで失敗だったという話しでなく、価値観や審美眼が広がったと思っています。

色んなテーマを持ちながら、気ままに撮るのが一番という事に今落ち着いています。

飾りたくなったら飾る、そういう感じになっています。

それが正しい答えかは分かりません、考え続けることが大事だと思っています。

価値観や審美眼に多様性を持ち、柔軟に楽しめればいいかなと思っています。

 

 

まとめ

人に伝わる写真がいい写真だという言葉も聞きますが

自分は篠山紀信の氏の言葉だと思います。

「自分の撮ったお気に入りの写真と向き合って、なぜ自分がその写真を好きなのか考えなさい」

いい写真、悪い写真を決めるのは自分だと思います。そして、自分がいい写真と思うことに責任を持つ。

責任を持つことととは、なぜその写真が好きなのか考え続けることです。

そのためにはSNSを利用することは非常に有効なことだと思います。

色んな写真に触れることで、自分の感性も研ぎ澄まされていきます。目標設定することで、技術も向上していきます。

評価されたい気持ちは急速な向上を促しますが、自分はやはり、自分の写真は自分で評価することが一番大事だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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