ケンカや揉め事をする時誰が正しいのか

 

 

 ケンカや揉め事をする時誰が正しいのか?

 これはケンカをしている当人同士二人ともが正しいと思っています。

 宮城しずか先生が地獄とは獄の字に象徴されていて、地獄の獄には右に犬という字があり、ひだりのけものへんも実は犬をあらわしている、左右二匹の犬の間に言うという字があり、犬と犬が言い合っている姿が地獄であるとおっしゃられていました。

 自分が正しいと思っている二人が、自分の正しさを主張し、お互い負けまいと自分の存在をかけて、お互いに潰し合う、それがけんかであり、それは地獄の姿なのです。

 まどみちおさんの言葉に「違う、だから素晴らしい」。という言葉があります。14年前に知りました。その言葉について竹中智秀先生は「違う、だから素晴らしい」について本当にそう言えるのか、どこでそう言えるのか、その確かめが大事ですとおっしゃられていました。

 今14年経ってその言葉が私にとって大きな大きな問題になっています。

 「違う、だから素晴らしい」ではなく、「違う、だからあいつは間違っている」私の心はそうなっています。

 14年経って、33歳になり、自分に自信をつけ、よりいっそう自分が正しいと思っているのではないだろうか、自分の考え方がはっきりしてきたことにより、反対に考え方の違いを認められない自分がいるのではないだろうかと思います。

 

 しかし、実はその揉め事こそが私が照らし出されているということです。お互いがお互いの姿を照ら合っていることです。その時こそ自分を知り、相手を知るチャンスではないかと思います。

 太陽の光は上から届くだけではなく、壁に反射して私に届く光もあります、地面に反射して届く光もあります。

 仏の光も一方からのみ私を照らそうとしているのではなく、人を通して私を照らしています。きっともめごとも私を照らす仏の光ではないだろうかと思います。

 「違う、だかから間違っている」という私に対して「はじめに尊敬あり」、その言葉が耳に繰り返し聞こえてきます。

 

短い読み物へ戻る

仏教のページへ戻る