ゆっくりと
一息
ゆっくりと
一息
止まりそうな間隔
もっとゆっくりと
一息
その繰り返しだった
少しずつ間隔が長くなっていった
それでも
一息
一息
生きている
そして
一つの息長く絶えて
一つの息が長く長く絶えて
涙が出た
母、父、妹、祖母が先に亡くなっているのですが、三年前に祖父が亡くなり、いわゆる「死に目に会」ったのはその時が初めてでした。
祖父の死の際思った事は生きるということは息をすることなんだ、そして死ぬまで息をし続けるのだ。それは死ぬまで生きようとし続けることなんだと。そこに人間の本能というものを感じました。生きるということが人間の本能なんだと感じました。
祖父江文宏先生は「母親の個体としてのエネルギーと、生まれてくる子供の個体としての力を足しても足りない、出産を可能にする大きなエネルギーがはたらくとしか言いようがない。」とおっしゃっていました。母の力と子の力、さらに不思議な力、その不思議な力というものは何なのか分かりませんが、母の力だけ生まれてくるのでなく、自分の力も必要なわけです。
やはり生きよう生きようとする力こそが本能なのです。
しかし、その本能に忠実にあろうとすればするほど、無明の闇を生きる私たちは、かえってその本能である、生きることから遠ざかっていくのです。自力という言葉であらわされているとおり、人を虐げ、自分が優位に立つことでしか、私たちは生きる実感をえられません。人を虐げることは最終的に自分の生きる居場所を無くし、生きる勇気も同時に奪っていきます。だからかえって本能から遠ざかっていくのです。
しかし、そうではないと、先達は念仏の道を先に歩んで下さっています。念仏の道とはお互いに生きる勇気を与え合う道です。生きる勇気を与え合うということのみが、人間の本能を満たしていくのではないかと思います。