2010年6月28日 聴聞

 

 

仏法は聴聞にきわまるなりと蓮如上人はおっしゃられています。浄土真宗とは聞法に尽きる、聞法こそ要であるとおっしゃられています。聞法ということは法話を聞くだけではありません。お内仏(仏壇)のお荘厳(おかざり)を目で見ることも聞法です。お経を聞くことも読むことも聞法です。またお香の香りを頂くことも聞法ですし、お仏飯(お仏供)を食べる事も聞法です。

  よく「仏教は難しい」と聞きます、そう言われる人の中には「聞いたらきっとすっきりするだろう」「何かいいこと、いい心が起こるだろう」「納得の出来ることを聞きたい」と思って聞いておられるのではないかと思います。私もそういうつもりで聞いています。この悩みをどうにかしたいと思って聞いています。聞法において一番大切な事は聞いて終わせずそこから考えることです。すっきりすると考えないですよね。親鸞聖人は「聞思」ということを言われます。「聞思」とは「聞いて」「考える」ことです。

 また、こういう言葉もよく聞きます「こないだ法話を聞きにいってきた。聞いている時はなるほどと思ったけど全く頭に残ってない。仏教って難しいね。」このことについても僕も全く一緒です。ノートに一生懸命書いても家に帰ったら頭の中は真っ白です。

 ある時、聞法会で隣になった方に「何か一言だけもってかえりなさい」とおっしゃって頂きました。

一言を大事にして、考えて、生活を振り返り、自分の命を見つめ直す。そして新たに聞き直し、聞いたことを考えるこの繰り返しです。繰り返し続けることで聞法は生活となります。だから、ただ「聞法」と言わず「聞法生活」と言う言葉で現在まで受け継がれてきたのではないかと思います。僕もゆっくり聞法生活を続けていきたいと思います。そして、また、皆さんも聞法生活をしていただければと思います。

 

 

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