牛のあゆみ2,悲哀の仕事3、二度死なせない―悲しみを大切にすること―

「二度死なせない―悲しみを大切にすること―」

亡くなった原因を教え、そして解決し、悩みを消そうとする宗教があります。それを外道(外観道)といいます。外観道とは字の通り外に原因を求め解決することです。なぜ死んだのか、死後どうなるのかということの解決です。

解決すべき悩みと、解決してはならない悩みがあるのではないかと思います。

原因を問題にして解決するのでなく、もちろん捨てるのでもなく、悲しむ、または悩む、その気持ちそのものを大切にするということもあるはずです。

「花」という歌があります。「泣きなさい、笑いなさい、いついつまでもいついつまでも花を咲かそうよ」という歌詞で、泣くことも、笑うことも、きっと怒ることも、また悩むことも、すべて花咲く事で、全て尊いことであると教えてくださっているのではないかと思っています。

精神医学の言葉で、大切な人が亡くなった時にどの人も必ずしなければならない仕事を「悲哀の仕事」と言うそうです。それは大切な人が亡くなったという事実に向き合う事と、自分の悲しいという気持ちに向き合うということで、悲しみを大切にすることです。それは悲しいと哀しい、かなしいという字が二つ続くように、簡単なことではありません、避けたいことです。苦しく辛いことです。

堪えるという意味で忍ぶという言葉がありますが、忍ぶには二つの意味があり、一つは忍耐、もう一つの意味は、はっきりそうだと認めることであるそうです。しかし、黙って忍べるわけはなく、グチも時にはもらしながら、また、息抜きが出来る人は息抜きをしながら忍ぶ、はっきりとその死を死として認めていく。

京都の学生時代、入学してすぐに、恩師竹中先生に「君は死を問題として抱えているようだが、今度二人で話しをしないか」と声をかけられ、先生の部屋で2時間もお話しをさせて頂いたことがありました。2時間のほとんどを、もう忘れてしまいましたが、一言だけ、「二度死なせてはいけない。」「二度目の死とは人間にとって一番残酷なことである」と教えていただきました。1度目は肉体の死です。二度死なせないということは、「自己を尊重し、他者を尊重する」という願いのもと、しっかりと死なせることでもあります。それは悲しみを壁とし、悲しみの中に閉じこもらないということです。周囲に心を開くことです。あべこべのようですが、しっかり死なせると、二度目の死は迎えません。しっかりと死なせないと二度死にます。それが、死んだらどうなるのかという問題の答えにもなるのではないかと思います。

悲しみはきっと0になる事はありせん。

考えないとか、見つめない、目をそらすという方法で、無理やり押し殺そうとするものでなく、無理やりあきらめるものでなく、ただ時間に身を任せ、風化させていくものでもないはずです。

悲しみは悲哀の仕事によってのみ解決されていきます。

それは悲しみを大切にすることです。悲しみを大切にすることは、二度死なせないということです。

そう言いながら、やはり「自己を尊重し、他者を尊重する」という言葉を忘れ、悲しみの中に閉じこもりたくなるときもあります。反対に悲しみを消したくなるときもあります。それほど、悲哀の仕事、悲しみを大事にすることは大変なことだと思います。

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