「大乗の至極-浄土真宗 1、願いを命とする」
私の仏教との出会いは、第1号に書きましたが、「あなたは誰ですか」という言葉でした。その「あなたは誰ですか」という言葉に続いて、人間には四種の人があると教えていただきました。
その四種の人とは、1、自利の人、2、利他の人、3、共利の人、4、不共利の人、この4種です。これは龍樹菩薩のことばです。正信偈に「龍樹大士出於世」と出てくるのでみなさんおなじみと思います。
1、自利の人とは、自分さえ良ければいいという人です。数年前、自己中という言葉がはやりました。その通りの人です。
2、利他の人とは、自分よりも人がよければいいという人です。一見とても立派な素晴らしいように見えますが、反対に人に気を遣わせてしまいます。また、優しさの押し売りになってしまっている場合もよくあります。また、お礼の言葉などの見返りを求めてしまいがちです。あげくのはてには、お礼の品まで求める場合があります。利他の人とは立派な事のように見えるため、一番気をつけて正確に見つめ直してみる必要があるのではないかと思います。
3、共利の人とは、全ての人と共に利を得ようとする人です。これは難しいです。また共利を自利利他円満といいます。
4、不共利の人とは、共に利を得ようとしますが、自分の身内だけが…、もしくは自分の友達、知り合いだけが・・・、など限られた範囲の人と共に利を得ようとすることです。
利とはお金のことや単純な損得ではありません。
この四種の人という教えに、まず、今まで自分はどうだったのかと問われ、同時に、どのような人になりたいのかと問われました。
困ったことに、1、2、4、この三つとも自分に当てはまります。どうでしょうか。
私は1、2、4、の生き方しかできません。しかし、人間は、必ず、3、自利利他円満を本能的に願っています。その願いは難しいからと、投げ出してしまい、願いが見えにくくなっていますが、必ず自利利他円満を潜在的に願っている。衆生の志願である。そう龍樹菩薩は教えられています。
自利利他円満を本能的に願っていると言われても、なかなか実感がわきません。
よく考えてみると、例えば、人を傷つけた時に胸が痛くなったりすることがあります。それが自利利他円満を本能的に願っているということの分かりやすい証拠ではないでしょうか。
自利利他円満の願いを回復しても、その願いをまっとうし、成就することは難しいです。自利利他円満を願ってもその通りにいきません。
しかし、その自利利他円満の願いこそが、事実としての自分の姿を浮き彫りにしていきます。その姿とは、自分は徹底した、自利の人であるということです。だから、先ず、願いありきです。その願いがまっとうできるかが大切でなく、願いは自己を明らかにします。ですので、自利利他円満は単純な理想論ではありません。
自利とは私が背負う罪悪です。私とは罪悪深重の凡夫です。
この四種の人についての講義は、「願いこそ我が命である」と、このように締めくくられています。
さらに、自利利他円満を願う者こそ、仏に教えられ、仏に成ろうと願う、大乗の菩薩(仏弟子)であると龍樹菩薩は明らかにされています。